雑感

思ってみれば、その本質を押さえることというのは大切なことだと思う。

 

消費税の増税一つとっても、(財政学には疎いが)「北欧諸国は消費税が20%だ!北欧諸国を見倣おう!」と、都合のいい時だけ、都合のいい理由付けのために引き合いに出される北欧諸国であるが、我々は、北欧諸国の一体何を知っているというのか。

 

気候が違う。気候が違えば生活態度・習慣もおのずから違ってくる。食生活や文化も違う、寿命も異なってくる。人口ピラミッドはどうか、人口動態は 公的年金の仕組み(システム)は? こういった国の現状や時代背景を無視したまま、ただ単純に「北欧諸国は消費税が20%!社会保障も充実している!」と言っても、それがたとえ「消費税が10%から15%。15%から20%」に上がったとて、本質的な「集めた税金を何に使うのか」「実際どう使われたのか」が明確でない限り、ただの「形だけ真似た」猿真似に過ぎない。北欧諸国に見倣って、消費税が20%になっても、「北欧諸国と同じ20%になったけど生活費や年金は少なくて苦しいね」といったことになるのが目に見えているように思う。人それぞれ成功パターンや性質や気質などが違うのに、形だけその人と同じように振舞っても意味がないのと同様に、国にもその国のやり方と事情がある。根本の仕組みや考え方が違うのに、形だけ消費税を増税だけする、というのは、その本質が「ただ単にお金を集める名目」とだけ取られても仕方がないのではないか。

 

本質の一つとして「なんのために」といったことが考えられる。政府はその名目として「社会保障に充てる」と言われてはいるが、その使途は市民の実感には乏しいのではないか。介護士などの給料という表面上だけからも見られる職業間格差、実際に国に徴収された税金の使途の正確な使い道は、どれだけ開示され、国民は把握しているのか。せいぜい「年金に〇〇億円。医療に〇〇億円使いました」といった公表が出されるだけで、それが嘘か本当かもわからない。結局、確かにここにこれだけ使いました。という使途はブラックボックスの中に入れられ、ある日急に変更案や法案が国会に出される、といったニュースをただただ受動的に受け取ることしかできない現状。これでは根本的なところで将来への不安や、現状への不満を払拭することは難しいと思う。

 

勉強不足なのは否めないが、実際スウェーデンの年金制度では、日本の賦課方式(世代間負担、現役世代が年金受給者の年金を納付する)とは違い、それに加えて「積立方式」が実施されているらしい。そこでは、個人は「自分が収めた年金の分だけ受給権が発生する」ため、自分たちがただただ自分のためではなく老人のために年金を納め、「支えている」といったものもなく、また、将来いくらもらえるのか、急に減額されることはないのかといった不安もない。こういった「公的年金」の仕組みひとつとっても違うのに、ただただ形式的に、表面上の「消費税20%」だけを引き合いに出して、「北欧諸国を見倣おう!」と喧伝するのは詐欺ではないだろうか? 表面上の形だけの猿真似をしても意味がない。根本的に真似をするのは、例えばその個人の年金を算出する計算式であったり、「賦課方式」「積立方式」といった(スウェーデンでも積立方式は一部のみなし制度である)根本的なところ、仕組みやシステムといった本質的な部分ではないか。これは上にも書いた通り個人間の人間観としてもそうだが、国家間においても、その仕組みや考え方、事情、現状が違うのに、消費税の値上げの時に(何のための増税か、その背景を大っぴらにせずに)、口実として北欧諸国といったことを引き合いにだすのは非常に卑怯に感じる。

 

しかしこういったところで、実質消費税といったものの増税は強行されるときには強行される、強制的なものであることに変わりはない。だからこそ人々は政治に関心を持つことは大切なのであるが(この国から出ていくのが前提であれば話は別だが。この国に住んでいる限り)、上級国民、社会的強者は、大衆から政治への関心を無関心にすることに、今から思えば数年前からそう仕向けるようにしてきている節があるように思う。オイシイ話は内々で回し(これはどこでもそうであるが)、甘い汁を合法的に吸う方法や仕組みは決して一般国民には開示せず、情報や手口は秘密裏秘密裏に行うといったことが事実上そうなのであろうが、これが個人的なレベル(例えば商売)であればまだしも、国民が毎日労働し、その報酬から名目上「税金」と称して一部を吸い上下、天引きし、文字通り「身体が資本」であるところの労働者から得た「血税」で行われている行為であるから、腹が立つのではないか。

 

個人的な観測範囲でしかないが、「日本は人口減少だが、韓国を含めて先進国は結構みんな人口減少している」といった、いかにも貧乏くさい、貧乏人の発想も見られる。周囲と比較して、周りはみんな落ちているから大丈夫、といったところだろうか。いったい、どこまで堕ちれば気が済むのか。「先進国が皆人口減少している」ということと「人口減少は問題ない」といったことは全くの別問題であり、古代エジプト古代ローマを見ても、人口が減少して栄えた国はない。「日本には四季があるから…」というが、四季があることによって人口問題が解消されるわけではない。おそらく、こういった言い分は、「人口減少=日本の悪いところ」と捉え、「でも日本の良いところ=四季がある」といった、「日本の良いところ/悪いところ」といったところを焦点にして話をしているのだろうが、上に書いた年金問題云々、そうではなくて、人口減少のその本質的なところ、根本的なところは「人口減少=国力の低下」である。(では、国力とは何か?といったことも話になってくるのだが)こう言った論点のすり替えが(意図的かどうかはわからないが)往々にして行われ、本質的なところが議論されないままのような気がする。

 

https://www.nensoken.or.jp/wp-content/uploads/2022Finland.pdf